フリージャーナリスト 森川天喜(あき)の取材記録

フリージャーナリスト 森川天喜の取材記録です

500年の時を経て、カマキリがつないだ京都と小田原の縁

沿道の声援に応えるカマキリさん

本格的な夏を迎え、蒸し暑さが増す7月17日の京都。この日、京都では祇園祭の「山鉾巡行」が行われ、街中を山鉾が、ゆっくりゆっくりと行き過ぎていく。

大小様々な山鉾の中に、御所車に乗ったカラクリ仕掛けのカマキリが据えられた「蟷螂(とうろう)山」という一風変わった山がある。蟷螂とはカマキリのことだ。

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(写真:2016年、山鉾巡行時の蟷螂山)

「かまきーりさーん!」という沿道の人々の声に応えるように、カマキリが前足を動かしたり、羽根を広げたりする。その様子は愛らしく、子供達だけでなく、大人にも人気だ。

巡行は"静"の祭りと言われる中で、ここだけは声援、拍手、笑い、どよめきが交錯する別世界が現出する。

京都の祇園祭と小田原の外郎家とのつながり

この蟷螂山、変わっているのはカラクリ仕掛けのカマキリだけではない。巡行列の「総代」という重要な役割を地元住民ではなく、神奈川県小田原市の製薬・製菓会社「ういろう」の代表(外郎家25代目当主)、外郎(ういろう)武さんが務めているのだ。

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(写真:外郎武さん(中央)と、「ういろう」社員の阿部将大さん(左)と好光亨さん(右))


「ういろう」といえば、歌舞伎十八番の一つ『外郎売』の口上でご存じの方も多いかもしれないが、蟷螂山をつくったのは、実は外郎さんの先祖とされている。

外郎家は、もともと中国の元王朝(1271年~1368年)に仕えた公家の家系。陳延祐(ちんえんゆう)という人物が、元王朝の滅亡後に日本に亡命し、九州の博多に住み、日本における外郎家の初祖となった。

延祐の死後、二代目の大年宗奇(たいねんそうき)が、京都の室町幕府三代将軍・足利義満の招きで上洛し、中国伝来の製薬や医術に関する知識・技術を持って朝廷や将軍に仕え、現在の蟷螂山町(京都市中京区)に屋敷を与えられたという。

この大年宗奇が、彼より少し前の時代に、同じく現在の蟷螂山町に住んでいた南朝方の公卿、四条隆資(1292~1352)を偲(しの)んで、永和2(1376)年に創始したとされるのが蟷螂山だ。

隆資卿は北朝を支持する足利義詮(よしあきら 室町幕府二代将軍)の軍と勇猛に戦い戦死したが、その姿を、中国の故事「蟷螂の斧」に出てくる、自分より強いものに果敢に立ち向かうカマキリの姿に重ねたのだという。

環境を一変させた応仁の乱

その後、「応仁の乱」(1467~1477)の勃発で、外郎家と蟷螂山を取り巻く環境が一変する。

洛中が荒廃し、薬をつくるのが難しくなったことから、外郎家五代目の定治は京都の家や典医の職を弟に託し、当時関東で台頭した戦国大名北条氏の招きに応じて、小田原に移住する。

しかし、京都の外郎家はその後途絶えてしまい、結果、外郎家と蟷螂山の縁も切れてしまうのだ。

一方、蟷螂山は度々戦火に遭い焼失したものの、その度に再興されてきた。しかし、江戸時代末の元治の大火(1864年)で大部分を焼失してしまい、その後は「居祭り(いまつり)」(巡行に参加せず、御神体や火災を免れた懸装品の披露のみを行う)での参加となった。

蟷螂山が再興され、117年ぶりに山鉾巡行に復帰したのは、昭和56(1981)年になってからだ。

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(写真:昭和56年の再興時に二代目に後をゆずった先代のカマキリ。現在は会所に保存されている)

500年の時を超えての「復縁」

その蟷螂山と外郎家の縁が再びつながったのは、つい最近のことだ。

外郎さんは、社史編纂を手がけた歴史小説家の山名美和子さんの著書『ういろう物語』の取材過程で蟷螂山との縁を知り、2005年5月に京都を訪れ、当時の保存會会長の家の門をたたいたのだという。

その後、保存會から巡行参加の誘いがあったものの、当初は長い年月、縁が切れていたことへの申し訳ない気持ちなどから遠慮していたが、2011年、蟷螂山再興30周年の記念の年に初参加し、以後は、ほぼ毎年参加している。

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(写真:蟷螂山の皆さん。2016年の山鉾巡行にて)


大年宗奇の蟷螂山創始から数えて600年以上、外郎家の小田原移住から数えて実に500年ぶりの「復縁」ということになる。

人出不足を解消する画期的な仕組み

筆者は今年(2016年)、外郎さんに同行して、7月16日(宵山)と17日(山鉾巡行)の様子を取材させて頂いたが、蟷螂山保存會常任幹事の本井元康さんに興味深い話をうかがうことができたので、ここで紹介したい。

バブル経済とその崩壊の影響を受け、蟷螂山町も古い街並みが次々と壊され、マンション建設ラッシュが進み、古くからの住民は数えるほどしかいなくなってしまいました。

このような状況にどう向き合うのか、町の役員達の苦悩が始まり、絞り出した方針は、時代の流れに逆らうことなく、失われた"人"と"物"(主として施設)を取り戻す絶好の機会にすることでした。

具体的には、"人"とは、マンション入居者を指し、入居者には強制的に自治会と保存會に入会して、お祭りの新たな担い手になって貰う。"物"とは、巡行放棄で町有財産を売却してしまった収蔵、会合、展示等が可能な施設を、新たにマンション内に設けること。

このような極めて困難な課題に対し、果敢にマンションのデベロッパーとの長くて厳しい協議に臨み、実現しました。

蟷螂山町と同様に町有財産を失った他の山鉾町から見学や情報提供を要望されることも多く、ノウハウの総てを提供して援護するものの、他での実現は未だ一つとしてありません。」

アルバイトやボランティアに頼らなければ祭りへの参加が危ぶまれる山鉾町が多い中、蟷螂山町の創りあげた仕組みは画期的だ。最近は祇園祭に参加したいがために蟷螂山町に引っ越してくる人も増えているという。

また、本井さんは、蟷螂山の取り組みについて次のように話す。

「蟷螂山は異色の山として(生稚児を乗せる)長刀鉾に次ぐ人気ですが、これに胡座(あぐら)をかくことなくお祭りの真髄や精神性を念頭に置きつつ、常に新しい事に取組んでいます。

例えば、今や最大の存在感になっている"カラクリ蟷螂おみくじ"の新設、わらべ唄の復活、舁(か)き初め(山の試運転)の復活等々で、その都度、新たなニュースとして報道して貰っています。」

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(写真:カラクリ蟷螂おみくじ)


最後に、外郎さんについては、以下の様に話された。

「私共は外郎さんご一行の参加を毎年の様に申し入れていますが、言うは易し、行いは難しで並大抵のことでは出来ない事です。それを継続して頂いていることに、頭の下がる思いで感謝しながらご一緒に巡行を奉仕しています。」

外郎さんへのインタビュー

最後に、外郎武さんに、祇園祭に参加する意義などについてうかがった。

「2011年から山鉾巡行に参加させて頂き、2014年には会社の恒例行事となっている社員旅行で祇園祭を訪れ、社員10名も巡行に参加しました。以後、2015年、2016年は社員2名とともに巡行に参加しています。

私どもの会社は、室町時代から小田原で商売をさせていただき、その伝統を継承する責任を負っていますが、祇園祭への参加を機に、社員がそのような会社で働く意味をより深く理解し、心意気が変わったのをはっきりと感じます。

また、私自身は、京都との文化的なつながりを持つことが"励み"になってると感じます。今のご時世、家を代々続けることは難しくなりました。家を傾けたら、遠く京都で文化を受け継ぐ蟷螂山町の皆さんが「がっかり」する。

そうならない様に、これを"励み"に歴史を重ねて行きたい。また、私のこの思いを後世に伝えていきたいと思います。」

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(写真:静岡県森町に伝わる「蟷螂の舞」)


さらに、外郎さんが交流を深めるのは京都だけにとどまらない。祇園祭由来とされる「蟷螂の舞」が伝わる静岡県森町との交流についても話をうかがってみた。

応仁の乱以前に京都の祇園祭で舞われていた"風流舞"の要素を色濃く伝えるとされるのが、遠州森町の山名神社に伝わる"天王祭舞楽"です。舞楽は八段から成り、その七段目に舞われるのが"蟷螂の舞"です。カマキリの被り物を頭に載せた少年が、独特のお囃子にあわせて、静かに舞います。

森町にこの"蟷螂の舞"を伝えたのが、外郎家の先祖であるといわれています。2014年7月には、先代(24代目当主)の新盆供養をしたいと森町からありがたい申し入れがあり、小田原での舞楽の特別公演が実現するなど、森町の方々とも深いお付き合いをさせて頂いています。」

この「蟷螂の舞」を祇園祭の巡行に復活させるのが、現在、外郎さんが抱いている大きな夢だという。

祇園祭は「かつてあったものは復活させる」というのが基本スタンスとはいうものの、蟷螂山町にお囃子方の担い手がいないなど、復活へのハードルは決して低くない。

しかしながら、今年(2016年)7月2日には、森町の文化研究の第一人者で同町教育委員会の北島恵介さんと、蟷螂山保存會の役員との歴史的対談実現を仲介するなど、夢の実現に向かって着実に一歩足を踏み出している。

文化講演会開催のお知らせ

今回取材にご協力頂いた、京都蟷螂山町と静岡県森町の芸能、そのつながりをテーマとする文化講演会が開催されるので、ご案内します。

『京都祇園祭蟷螂山と飯田山名神社の芸能』

○日 時:平成28年8月6日(土)午後1時30分から午後3時(午後1時開場)
○会 場:森町文化会館 小ホール(静岡県周智郡森町森1485)
○入場料:無料
○内 容:第1部 国指定重要文化財名神社天王祭舞楽「蟷螂の舞」披露
第2部 基調講演      
○講 師:本井元康 氏(京都祇園祭蟷螂山保存會常任幹事)
○演 題:「京都祇園祭蟷螂山について」
第3部 パネルディスカッション 
○テーマ:「京都と森町を繋ぐ縁」
○登壇者:本井元康 氏(京都祇園祭蟷螂山保存會常任幹事)
     村林利高 氏(京都祇園祭蟷螂山保存會會長)
     外郎 武 氏(山名神社舞伝播家小田原外郎氏25代目当主)
     京都祇園祭蟷螂山保存會會員の皆様 
○主 催:森町教育委員会・森町文化協会