フリージャーナリスト 森川天喜(あき)の取材記録

フリージャーナリスト 森川天喜の取材記録です

街の色彩と「お・も・て・な・し」の心

先日、日本とフランスで活躍されている画家の女性と話す機会があり、

「パリで描くと、白い絵を描きたくなる」

と話されていた。アルル時代のゴッホが、南フランスの陽射しの影響を受け、強烈な「黄色」が印象的な絵を描いたように、その街の風土や景観が、芸術家の作品に影響を与えるのは、よく知られていることだ。

街には、訪れる人々にその街を印象づけ、人々の生活や精神にも影響を与える、その街独特の色彩があると思う。

筆者にとって、印象深いのはロンドンの街の色だ。はじめてロンドンを訪れたときに、明らかに日本のそれとは違う石の建物を中心とした「石の文化」を目にし、カルチャーショックを受けたのを覚えている。


この石の街並みは、ロンドンの曇りがちな空と相まって、ロンドン = 灰褐色の街 という強い印象が残った。

 

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さて、「街の色」なんていうことを、ほかにも考えている人がいるだろうかと思いネットで検索してみると、やはりあった。「日本色彩研究所」のページだ。

都市の色が創る魅力−街の基調色が醸し出す個性・雰囲気− 財団法人日本色彩研究所


上記のページで紹介されているスペイン・カサレス、ウズベキスタン・ヒヴァ、インド・ジョドプールは、いずれも、その土地の建物に使われる材料の色や、気候・風土に適応するための色が「街の基調色」になっていて、とても美しいと思う。

世界を見渡すと、このように色彩が統一された美しい街並みが、数多くある。イタリア・フィレンチェでは、景観を守るために条例で屋根の色を規制しているという。

転じて、日本の都市の色彩はどうだろうか。

多くの日本の伝統的な街並みは、戦災や戦後の乱開発の犠牲になり、今や風前の灯火のような状況ではあるが、京都をはじめとする古都を歩けば、限られたエリアではあるが、昔ながらの木の家並みが今も残されている。

 

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茶色い木の家々を眺めると、なんとなくホッとするのは、多くの日本人の感じるところではないか。

同じ古都でも、神奈川県の鎌倉などは少し趣が違う。鎌倉は、室町時代中期以降、戦乱で衰退し、明治時代以降に、別荘地として本格的な復興を遂げたという歴史を持つ。

そのため、鎌倉の建物で印象的なのは伝統的な日本家屋よりも、別荘として建てられた洋館建築のほうだ。鎌倉を訪れる人々にとっては、街自体の色彩よりも、むしろ、海のブルーや、街の周囲を取り巻く丘陵の緑が印象に残るのではないかと思う。

このほか、「杜の都」仙台の緑、広島の「赤ヘル軍団」の赤など、日本全国を見渡せば、様々な視点から街を印象づける色彩を挙げていくことができるだろう。

さて、最後に日本の首都、東京はどのような色彩の街なのかを考えてみたいと思う。

東京はあまりにも色彩が氾濫しすぎて、印象的な色を挙げるのは、かなりの難題かもしれない。

伝統的には、江戸時代、江戸の商家の建物は「黒漆喰(しっくい)」が用いられていた。これは「江戸黒」と呼ばれ、粋(いき)な色とされたのだという。将軍様の城が「白」かったので、庶民は遠慮して「黒」を用いたのだとも言われる。

この「江戸黒」の街並みは、現代の東京では姿を消してしまったが、意外にも、埼玉県の川越で今も見ることができる。川越は、「小江戸」とも呼ばれ、江戸との距離が近く、江戸との物流や防衛の観点で重要視されてきた街だ。

 

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この川越で、明治時代の中頃(1893年)に大火が起き、市街地の三分の一が焼けたという。これを教訓に、江戸に真似て、耐火性に優れた「蔵造り」の建物を建てたのが、川越の観光名所ともなっている「蔵造りの街並み」のはじまりなのだ。

さて、現代の東京に話を戻すと、2020年の東京オリンピックに向けて、東京の街の再開発が進んでいる。今後、東京の街並みはどのような色に染まっていくのだろうか?

多くの人が思っているのは、巨費を投じてヘンなハコモノをつくるより、この暑さをしのげる緑陰や水辺を街中に少しでも増やし、「緑と水の街」にならないか?というようなことではないか。

そうすれば、住民も過ごしやすくなるし、暑いさなかにオリンピック見物にやってくる観光客への「お・も・て・な・し」にもなると思う。